「ノー」と言えない自分をやめてみる

世の中には、まっすぐに「ノー」を言えないひとがいます。わたしもそのうちのひとりです。
その場で(嫌だな)と思っても、即、「ノー」と言えない。
まだ、決定的に嫌なことをされたわけじゃないから…
相手にも事情があるだろうから…
わたしさえ我慢すればいいんだから…
なるべく円満に穏やかに、やり過ごそうとします。
これは相手に従うことで、何とか生き延びようとしてきた、過去からの習慣です。
自分にトラウマなんてないと思っていても、無自覚なトラウマは、こころとからだに保持されたままなのです。
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わたしは今年から、母と一緒に朝ジョグするようになりました。
息が切れない程度のゆっくりペースなので、母といろんな話をするのですが、
モヤモヤする…
体調はいいんだけど、なんとなく気分が悪い…
という状態がうっすら続いていました。
何でモヤモヤするんだろう?
からだにいいことのはずなのに、何で気力がなくなってしまうんだろう?
その要因がわからず、1ヶ月近くずっとしんどかったのですが…
詳細は省きますが、わたし、昔から、母を嫌わないように・嫌われないように立ち回っていました。
そう、これは幼少期からの癖。
おとなになってから母と長く過ごすにつれ、過去のトラウマのあれやこれやが刺激されて、いつの間にか、噴き出してしまったんですね。
人間関係、特に親との関係におけるトラウマって、根深いし厄介。
瞑想したり、ノートにつらつらと書き留めてみたりして、
昨日の夜、「あ、抜けた」というほっとする感覚とともに
「わたし、母のことがシンプルに嫌い」
と、やっと素直に思えました。
過去の出来事を、ばーっと思い出してみると…
「ほんとうは、あれも、これも、嫌だった」
「ちゃんと『ノー』と言ってもよかった」
出てくる、出てくる、負の遺産。
苦しかった幼い自分が出てきたんでしょうね。
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親であれ、誰であれ、人間関係のモヤモヤというのは自分では気づきにくいものです。
それが、自分がうまく立ち回れば平穏が守れるものならなおさら。
でも、「ノー」と言っていいんです。
「シンプルに嫌い」になってもいいんです。
嫌わないように。嫌われないように。
そうやっているうちに、どんどん自分の気持ちがわからなくなるから。
瞑想を続けていると、こんなふうに、冷凍保存されていた気持ちがどんどん溶けて、自分の本音が出てきます。
それは苦しいブロセスでもありますが、自分が変わるためには必要不可欠。
変化するには、過去の習慣を見つけて、新しい習慣をつくっていかないといけないのです。
まだ空いてます〜。ぜひ。