『自分探し』は終わらないと心得よ

自分を探して探して、
苦しみの原因を探ろうとしても、
あれこれ芋づる式に出てきちゃって、結局何がなんだかわかんなくなってた。

そんな日々に終止符を打ったのは、仏教瞑想でした。

『自分はいない』という古くて新しい考え方

わたしが瞑想を学んでいるTrueNatureMaditationでは、
『自分はいない』と最初に叩き込まれます。
仏教哲学の一部ですね。

自分とは何か?
物質的には存在しているんだけど、瞑想で突き詰めて行くと。

明確に「これが自分です」と言えるものは、
肩書きを外してしまったらもう何もない。

自分、自分、自分…えっ、どこ…誰…?

これはわたしにとっては、衝撃のできごとでした。

『自分』は思考が作っている

『ほんとうの自分』なんてものがあると信じて探していたけど、
どこにもなかった。

『自分』はあたまの中にしかいなかった。

傷ついたわたし。
かわいそうなわたし。
今日は元気なわたし。
愛されていなかったわたし。
今は愛されているわたし。
こんなわたし。

『自分』という玉ねぎの皮を剥いていったら、なーんにもなくなっちゃった。
それが瞑想の境地と呼ばれるものなんだと思います。

『自分探し』を今すぐやめよう

自分探しで消耗するのは、そろそろやめよう。
探している『自分』はどこにもいないのだから、
そこに使っていたエネルギーを、
『今ここ』を生きるために使おう。

近所のねこと目が合った。
空が青い。
コーヒーのいい香り。
風が心地良い。
コンビニ店員さんの笑顔が素敵。
月がきれい。
眠りにつく前の静かなひととき。

…『自分』を探しているあいだ、いったいどれほどの景色を、感覚を、
スルーしていたんだろう。

そんなことに、気づくかもしれない。

何者でもないなら、今、何にだってなれる

ただ、今この瞬間に目を向けて、ちゃんと味わえたら。
わたしは『自分』という幻想から飛び出して、
やっと、ちゃんと『生きる』ことができるのかもしれない。

わたしが、わたしとして、生身のまんまでちゃんと生きる。

可能性がたくさんあるということ。

それって、すごくスピリチュアルだね。

参加者さん、あと2人ほど募集しています。

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