「エゴ」と仲良くするということ

スピリチュアルの世界でよく聞く「エゴ」という言葉と、
仏教で語られる「エゴ」は、少し意味が違うように感じています。

スピリチュアルの文脈では、
エゴは「手放すべきもの」「目覚めを妨げるもの」とされることも多い。
でも、仏教ではそれを否定するのではなく、
ただ「見ていく」「気づいていく」ことが大切にされます。

わたしは、エゴを消す必要はないと思っています。
むしろ、「よくここまで守ってくれてたね」と声をかけたくなる存在。
無理をして頑張ってきた“わたしの一部”なのだと、瞑想を学びながら少しずつ思えるようになりました。

エゴと仲良くなることは、いまここにいる練習から始まります。

気持ちを静かに感じて、
「今、こう思ってるんだな」と認めてあげること。

そこに戦いはありません。

これってちょっと、占いに似ていると思いませんか?

占いで「あ、自分の気持ちってこうなんだ」と気づいたときも、
否定する必要はありません。

それは自分を守るために身につけた鎧かもしれないし、
今まで隠し通してきたこころのしこりかもしれません。

でもね。
なーんにも、恥ずかしいことなんてないんです。

「エゴ」と仲良くするということは、
自分と仲良くすることです。

今まで置いてけぼりにしてきた自分のこころ。
(それは、インナーチャイルドと呼ばれたりしますね)

どうにか、こうにか、
仲良くする道を探ってみませんか?

タイトルとURLをコピーしました