長年瞑想を続けていますが、
もちろんできない日もあって、
そういうとき中囿(わたし)はどうしてるんだっけなー、っていうのを、書いてみます。
瞑想できない日って、こんな日
たとえば、暮らしが忙しくて
「瞑想なんて、やってられっか」みたいな日。
やることリストに追われて余裕がない日。
あとは、体調が悪い日なんかも。
はい、瞑想、できてません。やろうとするけど、こころが「だるい」って言う。
毎日20〜30分座るのが理想、とはわかってるんです。
でも、やりたくないんです。
とりあえずこころ(エゴ)の言い分を聞く
こころの声を聞きましょうってよく耳にするけど、
あれってだいたいエゴの声だからね。あてにならない。
でもまあ、理由くらいは聞きましょう。
『わたし』はなぜ、瞑想したくないんですか?
問い詰めるんじゃなくて、
隣に座る友達のような感覚で、好奇心を持って問いかけます。
「めんどくさいから」
「しんどいから」
「疲れてるから」
「今日はがんばったし、もういいじゃん」
出ました、出ました、エゴのいいわけオンパレード。
エゴは自分がいなくなるのが怖くて、瞑想を避けようとします。
避けるためなら、どんな言い訳もするし、
わりとなんでもします。
「とりあえず座るか」と姿勢を正した瞬間に、
親から電話がかかってくるとかね。
(まじめな話、そういうこともけっこうあります)
(ひとのこころは繋がっているから…)
とりあえず呼吸に注意をはらう
…エゴに聞いてもどうにもならないのは、わかりました。
じゃあとりあえず、ひといきだけでも座りましょうか。
息を吐いている…(はーーー)
息を吸っている…(すーーー)
思考が浮かんできたら『思考』とラベルを貼って呼吸に戻る。うんうん。
なんだ、まあまあできてるじゃん。
こんなことしてる場合じゃないけど…
って、あ、思考。
思考といえばこの前、瞑想クラスで質問しようとしたことが
その場で飛んでいっちゃって、
何を聞きたかったかわからなくなったんだよね。
よくあることなのかな…あ、思考。
忘れるって理不尽だよね。
忘れたいことはずーっと覚えてて、
本当に覚えておきたいいい思い出とかは…あ、思考だ…
ええっと。吐いて…吸って…だめだ余計こんがらがってきた、もうだめかもしれない。
今日は気圧も下がってるしさー。
やめだやめだ。瞑想なんてなんの役にもたたな…思考…うーん…思考…
『だめな瞑想』『間違った瞑想』があるわけじゃないから
マインドフルじゃない日って、いつもこんな感じです。
ひどいときは姿勢も保てなくて、
床に屍のポーズ(ヨガの、大の字で寝るポーズ)で転がったまま
自問自答して30分すぎた…という日もあります。
だけどべつに、『だめ』とか『間違っている』瞑想じゃないんです。
ぐだぐだな瞑想でもいいんです。
基本のマインドフルネスに飽きたら、
慈悲の瞑想やヨガニドラに切り替えたりも、しています。
(*ちゃんとした瞑想スクールでこれをやると、『ゆるすぎて』たぶん叱られるけど)
自分が何をしているか。
そのことに気づいていれば、OKです。
いちばん大事なのは続けること。
瞑想を続けるには、もっと真面目にとか、もっときちんと、とかは
逆に足かせになることがあります。
ゆるい瞑想にも効果はあります
あんまり瞑想に効果を追い求めるのもあれなんですけど、
やればやるだけ、
続ければ続けるだけ、恩恵はあったなあと思っています。
・明晰さ
・こころの落ち着き
・穏やかさ
無意識に五七五を読んでしまいましたが、
わたしが得た瞑想のいちばんの効果って
『浮かんでくる思考を嫌わなくなったこと』なんですよね。
思考を嫌わなくなったということは、
『わたし』を嫌わなくなったということです。
これについては語りだすと長くなるので
瞑想クラス開講の際に話そうと思っています。(来てね!!)
マインドレスでも生きていけるし、
わたしも瞑想に出会うまではマインドレスで生きてこれてたけど
それってほんとうに生きてたのかな。
などと思う、今日このごろです。
ただ座ることを習慣にしたい人へ。
Discordで、静けさを分かち合う瞑想の場をつくりました。
顔出しなし、話さなくてもOK。
毎週火曜日朝9時に、同じ時間に座るだけの時間です。
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